ゆかりの地

願成寺(がんじょうじ) 願成寺の老僧をイメージしただるま

願成寺(がんじょうじ)

川崎家の菩提寺で、山名氏創建であると伝えられています。由緒ある山門は江戸時代のもので、市の文化財に指定されています。多くの檀家があり、旧川崎家墓所も縁戚の墓所となって現在に至ります。川崎家の記録は享保年間(1720頃)より存在します。
明治10年代に記された墓石明細簿には、尚之助と同じ没年月日の戒名が確認できます。墓地の所有者は、川崎才兵衛の息子川崎渉一。同じ墓域に才兵衛の墓もありました。戸籍をたどってもほかに該当者がいないことなどから、歴史研究家あさくらゆうさんは「郷里を離れて死んだ尚之助を弔ったとみて、ほぼ間違いないだろう」としています。現在、墓石は残っていません。願成寺の門前には目力の強い3体のだるま大師の姿。約35年前に正徳院(京都府京丹後市網野町)のご住職が作られたもので、門に向かって右側のだるまは、願成寺の老僧をイメージしたものだそう。ひっそり静かにたたずむ姿は訪れる人たちに何か訴えかけているようです。



宗鏡寺(すきょうじ)-外観 宗鏡寺(すきょうじ)-内観

宗鏡寺(すきょうじ)

中世の大名、山名氏の創建で、藩主の菩提寺。荒廃していたお寺を元和2年(1616)に沢庵和尚が再興したことから沢庵寺とも呼ばれています。敷地には山名、小出、仙石家、そして沢庵和尚の墓碑があり、県指定文化財の庭園(沢庵和尚作)も備えています。江戸時代に川崎家はこの寺院に灯篭を献じています。



川崎尚之助生家跡

川崎尚之助生家跡

川崎家は文政末期(1830以前)には、この地に居宅があったことが確認されています。明治9年(1876)の大火により、一度は焼失していますが、川崎渉一によってのちに再建され、明治25年(1892)までこの家に住んでいました。建物は当時のもので、現在は化粧品店。



出石(いずし)城跡

出石(いずし)城跡

出石藩仙石家の居城。実際に藩主もこの地に居住しており、幕末維新期には川崎家も登城していました。いまは城郭を残すのみとなっており、格好の散歩コースです。


※出典「新島八重を歩く」-幕末・明治に生きた会津女性の足跡-
「知られざる八重の夫・川崎尚之助 晩年の真実」 執筆者:あさくらゆう