川崎尚之助(かわさきしょうのすけ)とはどういう人物?

天保7年(1836)、川崎尚之助は但馬出石藩(現在の兵庫県豊岡市)で生まれました。嘉永7年(1854)頃、江戸に出て蘭学を学びます。そして、山本八重の兄、覚馬(かくま)と塾で知り合ったことが縁となり、会津に招かれます。会津では、藩校の日新館で蘭学を教授し、銃器・弾丸の製造指導にも知識を発揮しました。八重との結婚は慶応元年(1865)で、尚之助29歳・八重21歳の時でした。会津若松城の籠城戦では、八重とともに大砲隊の指揮をとって戦います。戦後も他の会津藩士と行動をともにし、移住した斗南藩では、藩の食糧調達のために働きました。義と縁を重んじ、最後まで一途に会津藩に尽くした人物でした。詳しくは、「川崎尚之助を知る」をご覧ください。

歴女がゆく!

尚之助さんも通った!?道をゆく最終回

お地蔵さんを後にして今日はいよいよ鯵山(あじやま)峠に入ります。
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川に沿って旧道を歩いてくとその先に、ピンクで塗られた小屋を発見しました。

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こちらは、あのヒット曲『大阪で生まれた女』で有名なBOROさんが曲作りをされていた場所。ピンクの外壁もご本人自ら塗られたそうです。今はもう使用されていませんが不思議と存在感のある建物だったなぁ。

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ピンクの小屋から約3分もすれば、もう峠の入り口です。この辺にお茶屋さんが4件程あったと言われています。

赤丸のところが出石城のあたりです。
峠(都方面)から来た人にとっては『出石が見えてきた!』とホッとした気持ち。これから峠に向かうもの(尚之助さん!?)にとってはもう一度身を引き締める場所であったのではないでしょうか。そして最後のお別れ。また戻って来れるかなとこの景色を目に焼きつけた人も多かったのでしょうね。


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そしていよいよ峠って・・・ははあ、これは山登りですね。
つい車道のような道を想像していました・・・甘く見ていたな・・・。

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途中、石碑がありました。『南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)』旅人たちの安全を祈って建てられたもの。


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行く手を木々がさえぎります。はぁ、険しさよ。昔の人はさぞかし足腰が強かったんだね。

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そして川見さんも、同じく足腰の強い人・・・。ついていくのに精一杯。
川見さんのお話を聞き逃すまいと、ボイスレコーダーを持っていましたがとれていたのは私の息のきれそうな『はぁ、はぁ』という呼吸のみ・・・。意味が無い・・・。


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山に入ってから15分程歩いたでしょうか。やっと峠の頂上です。
ここから下ってゆくと但東町に出てゆきます。

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帰りは現在の道(右側)を通ってもらって帰りました。(左側は通ってきた道です)
ホッ!

川見さん、ありがとうございました。
最後に尚之助さんの気持ちを体験できてとても幸せでした。


さて、今回をもちまして、この『歴女がゆく』も終わりを迎えます。これまで取材に協力してくださった町の皆様、本当にありがとうございました。

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川崎尚之助さんを通して出石の素晴らしさが再認識できた、そんな一年でした。

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出石には深い歴史と、素晴らしい人たちがたくさんおられます。
これを読んでくださったみなさんに少しでも伝わっていれば嬉しいです。

町にいらした際には、尚之助さんの足跡もたどってみてください。それぞれにきっと楽しい発見がありますよ。

では、私は好奇心のおもむくまま歴史を探して旅に出ます。

では、またいつかどこかで・・・


2013.12.28